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気まぐれな巡礼案内⑭

投稿日:2017/10/01 カテゴリー:瀧生山 永寳寺内慈眼寺

9月に入ると、「月々に 月見る月はおおけれど 月見る月は この月の月」仲秋の名月の句をおもいだします。

彼岸月が重なり、日本人の良さを実感する季節でもあります。

暦の上でも春夏秋冬の四季の移り変わりが突然来るわけではありません。

17日間の移行期を土用と呼び、この土用が明けて立秋・立冬・立春・立夏となります。

中秋は旧暦の8月15日で、この日を方位でとると「真西」、太陽の「陽」に対して月は「陰」、陰の象徴としての月の正位は「西」、旧暦8月15日の月を拝む行事は「五穀結実」を祈り、四季の順調な推移を祈願し感謝する行事であり、お供え物も白色団子・芋・栗等全て丸く、金気西を象徴する物ばかりです。

お隣の韓国でも「仲秋佳節」として、重要な日として祝ってきました。

日本では、風雅なお月見行事として、古来から定着してきた慣わしですが、その意味は中国哲学に裏打ちされたものです。

難しい理論を隠し、秋の満月に手を合わせる姿に、日本人の情緒を感じます。

月の呼称も、新月、二日月、三日月、上弦月、十三夜月、待宵の月、十五夜、満月、十六夜(いざよい)、立待月、居待月、寝待月、更待月、下弦月(二十三夜)~有明月、晦日月まで、様々な呼び方にスーパームーンが追加しました。

 

御詠歌にも 月を詠みこんだ札所が5ヶ寺あります。今回はその一つ、29番正林寺内磯部山です。
正林寺は旧小笠町。県道大東菊川線を南進、磯部の信号を左折(相良大須賀69号線)すれば左側にあり、南側は「塩の道」の塩買い坂があります。

境内を入って行くと、今年(平成29年)落成した荘厳な山門が建ち(写真)
大伽藍の閑静な佇まいの中、観音堂は本堂西側にあります。(写真)
明治29年、磯部山上からこの地に移されました。(磯部山は正林寺の西に数百メートル、信号機の東南)正林寺蔵 正徳3年(1713)の古絵図によれば、磯部山上には観音堂を始め、客殿、別当家(庫裡)、池、弁天堂があり 江戸中期の当地の様子が伺われます。

昭和60年観音霊場保存会発足後、各札所に観音霊場に関する資料要請をされたことがありました。29番札所の資料紹介に、昭和26年(1951)※山本茂三郎(石峰)氏が「遠江三十三所巡礼物語」と題する、故事伝説解説本を正林寺に奉納と記されていました。

ご住職の温かいご理解で、早速コピーをとっていただきました。(写真)
時の住職※田中霊鑑氏(1877~1965)が序文に「予 先に現皇帝即位式の大正三年に 記念に国家安康、五穀豊饒を祈願して、遠江三十三所観音霊場奉納経及御詠歌集を出版して旅行し、大悲の慈眼を讃仰せり。

当時以前、遠江三十三所霊場創設者、真史蹟等甚に不詳にして、史料風土記にも顕著ならず。甚に遺憾なりき、偶に石峰居士 正林寺史を研究せらるる傍ら之れが旧蹟探究を依属せしかば終に稿成りて、此の巡礼夢物語一巻となりて、其の創始起源等を得たるは誠に歓喜に堪へず、依って一言を附して序と為す。

昭和二十六年中秋九月 正林二十六世 霊感叟」と寄せています。

序文に記されています奉納経と御詠歌集は、氏三十代に出されたと思われますが、残存不明です。

本文は①遠江三十三札所縁記 ②遠江巡礼札所夢物語が著され、付録として今川氏、朝比奈氏、掛川城、御詠歌、観音和讃が記され、詳細に調査研究されたことがわかります。札所の草創についての記載では、1番結縁寺で紹介した内容と符合することも多くありました。

昭和62年に出版されました 鈴木偉三郎著「遠江三十三所観音霊場縁起」は正林寺蔵本を書写・加筆して出されたものです。

今後各札所の記載も 折に触れ紹介したいと考えています。

 

ご詠歌「はるばると 登りて見れば 磯部山 小松かきわけ 出る月影」 を石峰氏は「上の句は求道巡礼のありさまを述べ、小松とは垢穢の煩悩を指し、それを押しのけ払いさる観音力を月影に譬えている。」と解釈しています。

昔から西国霊場の御詠歌に比べ、遠江霊場の方が優れている と聞かされていましたが、なかなか奥の深いものだと感心させられます。

今川義忠を供養する寺として建立された正林寺。「寿桂尼」が今川の安寧を願い「霊場」を発願したとするならば、最も縁の深い この寺に何故重きを置かなかったのか、素朴な疑問は残ります。 正林寺開創は永正14年(1517)。

 

※田中霊鑑:正林寺26世住職で28番正法寺住職から請われて、正林寺に晋山、同寺を再興。昭和40年(1965)遷化88歳

※山本茂三郎:旧小笠町河東、晩年石峰を称す。菊川市河城村々史はほぼ氏の調査編集により刊行された。

※正林寺山門:旧山門は菊川市西方の澤崎邸から中内田の小原邸を経て正林寺に建てられていた。