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寺院からのお知らせ

気まぐれな巡礼案内㉓

投稿日:2018/09/18 カテゴリー:瀧生山 永寳寺内慈眼寺

第17番 日林山 天養院

掛川市宮脇4-3

※絵  
掛川市内から旧国1(県道415号線)を東進し、掛川警察署から東に1キロほど進みますと、本村橋(honmurabasi)交差点(信号機)があり、その北側の山 西斜面に17番札所はあります。(入口は信号機の西30mを北折して100m程です。)登り口は南側と北側の二か所あり、どちらからも2~30m程です。  写真は南側と北側の案内板です。北側の案内板は立ち木に彫り込んだものです。

この時期(秋彼岸)境内は一面に赤と白と黄色の※ヒガンバナで飾られます。地元の人たちの手入れのたまものです。春三月の彼岸頃から二か月かかって桜前線が北上します。ヒガンバナは逆に八月中旬過ぎから一か月かけて南下します。この辺りは丁度お彼岸に満開となります。ヒガンバナに埋め尽くされた17番札所を是非堪能してみてください。秋彼岸は地元の人たちが当番で詰めていてくださり、お接待をしてくださいます。

「掛川誌稿」宮脇村の項には、日輪山 天養院として「曹洞 城東郡西方村※龍雲寺末 開山は龍雲四世祥山麟和尚と云う。此の寺昔西田の寺家という処にあり、後郷倉の辺りに引き、また寛文中(1661~1672)蘭山和尚の時今の地へ移す。又慶長九年(1604)検地帳に、上蓮寺という地名ありて、そのところは今寺家という辺りなれば、上蓮寺は天養院の昔号なるべし。」とだけ記されています。山号日林山と現在は書していますが、「※日輪」のほうがふさわしく感じます。(近くの掛川市仁藤の日輪山真如寺と山号が重なり字を変えたのかもしれません)

※上絵:溝口博之画 天養院観音堂を描き、お堂で得た感覚を画像に載せ メルヘンを生み出す独特の画風。キツネと彼岸花(キツネノカミソリ)。

※ヒガンバナ:秋の彼岸も近くなりますと日を覚えているかのように、あっという間にヒガンバナが一斉に咲きだします。この花の名前は、全国共通の名前を除いても600以上の名前が全国で付けられて呼ばれています。なぜこれほどの呼ばれ方をしているのか気になりますが、その中で静岡県内に限定しても、アカハナ・オーバコ・カブルバナ・カブレバナ・ジイジャアボウジャアー・シーレ・シロリ・ソーシキバナ・ソーレンバナ・ヒガンゾ・ヒガンソー・ヒガンバラ・ヒナンバラ・ヒナンバナ・ヒランバナ・ヘソべ・ヘビバナ・ポンポンササギ・ポンポンササキ・マンジュシャグ・マンジュシャゲ・ワスレバナ・チョーチンバナ・ドクバナ・二ガンバナ・ノアサガオ・ハコボレ・ハコボレクサ・ハッカケ・ハッかけクサ・ハッカケバーサン・ハッカケバナ・ヒーナンバナ・ヒーナンバラ・ヒーヒリコッコ・ヒーリコッコと36もの呼び方がされています。これらは「秋の彼岸の頃に咲くことから」「花が一斉に咲くことから」「花の色から」「花の形から」「花が咲いているとき、葉が無いことから」「お供え花として使うことから」「遊び方から」「墓の周りなどに咲くことから」「しびれや、かぶれることから」「毒があることから」「薬として使われたことから」「粉から、モチやダンゴをつくることから」など、じつに多彩な理由からの呼ばれ方です。(かこさとし作 ヒガンバナのひみつ)

上記の※かこさとし(加古里子)さんは、この本の中で、ヒガンバナのひみつは「楽しい名前と、こわい名前が、いりまじっていることが、ヒガンバナのだいじなひみつなのです。そのおかしななぞは、ヒガンバナを非常食として、のこしておくための、とてもよいやりかたとなっていたということです。まるで、くいちがって、楽しいかと思うと、こわかったり、毒かと思うと、ぎゃくに薬だという 名前のなかに、非常食として、ヒガンバナのひみつが、かくされていたのです。とてもいりくんだ、むずかしいひみつのしくみです。」と書いています。(著者かこさとし 株式会社小峰書店発行所 1999年)

飽食の現代では、花の美しさにとらわれ、著者の言うヒガンバナの秘密に気づくこともありません。気づかないことが秘密ですから、目的は継続されているのでしょうか。

※かこさとし:加古里子(かこさとし)1926~2018 児童文化研究者など。「だるまちゃん」シリーズなど600点余にのぼる。菊池寛賞受賞他多数

☆ヒガンバナの成長の速さ(写真)

平成30年9月10日に出た花芽は9月17日満開になりました。一日10㎝以上伸びる日も、一週間で開花です。  
※日輪:太陽のこと。

※龍雲寺:28番正法寺案内(気まぐれな巡礼案内⑱)で記しましたが、掛川市大野の長松院【石宙永珊和尚開山 文明3年(1471)】二世一訓和尚(~1504)の弟子 法山宗益和尚が永正11年(1514)に開山した。天文2年(1533)寂 (写真は龍雲寺)
近在の龍雲寺関連の寺院を見ると、二世光山康玖和尚が西方村西福寺(龍雲寺に合併)天文19年(1550)寂、満水村満水寺(昭和48年龍雲寺に合併)永禄1年(1558)死去?、正福寺(満水村内、旧公会堂地)の三か寺を開山・三世實傳和尚が西方村正法寺 元亀1年(1570)寂 を開山・四世祥山宗麟和尚が宮脇村天養院(明治6年廃寺)を開山・五世明国存光和尚が堀之内村報恩寺 慶長9年(1604)、本所村陽法寺(龍雲寺に合併)元和9年(1623)か寛永8年(1631)、打上大徳寺 元和9年(1623)の三か寺を開山・六世が安養寺(廃寺)寛文年間(1660頃)を開山 と古刹龍雲寺は地元(西方村)を中心に約100年間に8か寺を開き教線を確実に拡大したことがわかります。

      )(写真は上から西福寺・満水寺跡・正法寺・報恩寺・陽法寺跡・大徳寺)

 

〇桐田幸昭氏は「遠江三十三所案内」(昭和63年刊)の中、17番天養院の項でお堂前の鬼瓦の※寺紋と二体の地蔵石像について、精査の必要を問うています。

 建て替え前の物ですが、鬼瓦或いは大棟鬼と呼ばれ、上に突き出た部分が鳥衾(とりぶすま)とよばれます。鳥衾の紋は「左三つ巴」鬼瓦の紋は「丸に三つ引き紋」「丸の内三つ引き紋」といわれ、「左三つ巴」は掛川城を築いた※朝比奈氏の定紋。「丸に三つ引き紋」は朝比奈氏と同じ今川氏の家臣※三浦氏の定紋と考えられます。憶測ではありますが、今川氏がらみの朝比奈氏、三浦氏に関連する寺院と考えても良いと思われます。ただ三浦氏については今川氏の譜代家臣朝比奈氏三浦氏と並べて云われる割には三浦氏の掛川での動向はよくわかっていません。本寺龍雲寺、その本寺長松院は共に今川氏と関連性の強い寺院とされています。既出山本石峰氏は、札所15番から28番の中の9か寺について「長松院と今川家との深き因縁を背景とし長松院領の域内にあり」と記しています。

鬼瓦の寺紋からの推察でこれ以上のことは今後の宿題ですが、旧寺名「上蓮寺」の頃の観音霊場草創期と朝比奈氏と三浦氏の拘わりにも興味が膨らみます。

※寺紋:寺紋や神紋といわれ、寺院や神社に使用されている紋章。宗派の紋と異なり寺院開創に深く拘わる武将や貴族(スポンサー的役割)の家紋を寺紋とすることが多い。

※朝比奈氏:朝比奈氏については「結縁寺」(気まぐれな巡礼案内⑩)を参照ください。

※三浦氏:今川家の重臣駿河三浦氏の詳細は必ずしもわかっているとは言えません。小和田哲夫氏の「今川氏重臣三浦氏の系譜的考察」をきっかけに少しづつ解明されてはいますが、掛川(遠江)での三浦氏の動 向は朝比奈氏に比して今後の調査が必要です。

 

〇二体の地蔵石像について


「史跡遠江三十三観音霊場」桐田幸昭(昭和62年刊)に左側の地蔵尊には「二建時延宝二甲寅年(1674)八月十五日示寂」「當庵二世中興蘭山寒秀和尚増崇霊位」と刻され、また右側の地蔵尊には「延宝五丁巳年(1677)八月十三日」「示寂請叟宗益和尚」と刻されていますと紹介されています。

掛川誌稿に「寛文中蘭山和尚の時今の地へ移す」と書かれ、また中興とも刻されていますので二世蘭山和尚の時に現在地に移転し寺門興隆の尽力が大であったことがうかがわれます。また右側の石像「請叟宗益和尚」は天養院三世です。(※龍雲寺住職密山叟了玄記)

※密山叟了玄記:宝暦十年(1760)に時の龍雲寺住職が歴代住職を記したもので、「天養院」に関しては「第一 開山當寺四代 第二 中興蘭山寒秀和尚 延宝二寅八月十五日(1674) 第三 請叟秀益和尚 延宝五巳八月十三日(1677) 第四(再中興)通方傳遼和尚 元禄十二己卯二十六日(1699) 第五(重中興)圓了禅遼和尚 元文五庚辰六月二十九日(1740)まで記されています。

 

境内の観音堂の前には桜の木の下に延命地蔵尊と青面金剛童子(庚申)が並んで祀られています。

  共に長寿の役割を担当する仏様です。現世利益と観音様の浄土への願い、「※現当二世安楽」をかなえてくださるお寺です。

※現当二世:あの世とこの世のことで、現世と来世。

〇堂内

この観音堂は平成9年(1997)に建て替えられ、落成時にお開帳も行われました。本尊聖観音様は正面のお厨子の中で次回のお開帳を待っています。建て替え時を※中開帳としましたので、次回の開帳は2030年の予定です。

  (昭和61年お開帳・久保田康徳氏提供)

※中開帳:秘仏の場合三十三年とか六十年に一度本尊様の扉を開け、衆生と仏縁を結ぶ機会を作っています。(一般的には、33年に一度が多い)。三十三年では長すぎるため、その中間に中開帳と称して、扉を開けることがあります。これを中開帳と言います。

〇御詠歌

補陀落や ここに在りける成滝の 柳の上に吹くや 松風

山本石峰氏は「補陀落は梵語、観音の枕詞だ。観音は今成滝の岸で衆生済度で御多忙。丁度柳が風に任せて揺れる様だ。松風とは巡礼たちの成仏を待つという掛け詞だ。」と記しています。

曼珠沙華はmanjyusakaの梵語から採られ、「極楽に咲く花」とか「天界に咲く花」と意味づけされた植物です。満開の花に囲まれ 祈りを捧げ 唱えるお経は一輪一輪の花に吸いこまれていく。地蔵となった歴代住職が花に囲まれて見守る 花々は祖先から受け継がれた魂か・・・。花いっぱいのときにおとずれて ぼんやりしてみました。ごくらくごくらく(平成30年9月17日)

    
ヒガンバナの花が終わると葉が出だす。(平成30年9月24日)