静岡県西部遠江三十三観音霊場保存会の公式ホームページです

寺院からのお知らせ

気まぐれな巡礼案内②´

投稿日:2017/03/23 カテゴリー:瀧生山 永寳寺内慈眼寺

気まぐれな巡礼案内②で紹介しました「獅子が鼻」の岩に刻された和歌の続編です。

袋井市春岡の古刹西楽寺には「遠江古蹟図絵」を著した 再影館藤長庚(兵藤庄右衛門)が寛政3年(1791)に和歌の拓本を取り作成された版木が残されています。その由来を当時の寺の住職は「岩室山和歌記」として残しています。漢字ばかりで読みにくいですが記してみます。

遠江國周智郡巌室山者弘法大師開基而其岩之形如臥牛也 然大師真跡之和歌在于牛鼻焉 仰是聳崖萬丈非雲梯何書彫此耶思則佛陀権化之所作而異神巧妙於茲知之也 実依此奇郷里之人民云其地名於牛鼻焉 時寛保元辛酉年之春岩之牛鼻落萬尋之深谷也 雖然幸哉和歌向空而文字粲不損矣従寛保元酉年當寛政八甲辰迠経年五十有六也 見和歌在牛鼻里人至今存焉 亦遠境之緇素為令崇尊大之真跡釋榮信藤長庚等 謹繕寫而贈予依之為傳後世影銶于石而摺紙信施而巳 維持寛政八甲辰年  遠江國 西樂寺 釋法印元宣

享和3年(1803)に「遠江古蹟図絵」は著され、93項に「牛の鼻詠歌」と題して「山梨より一里北、豊田郡巌室村に観音堂有り。当国巡礼札所なり。堂の後山の頂に牛岩有り。黒岩にして牛の伏したる形に似たり。およそ十間程長さ有り。その牛の鼻の所に一首の歌を彫刻す。千里鏡にて見たる所幽かに見え、往古より云い伝ふ空海の筆ならびに歌と云い伝ふ。先年宝暦年中、大地震してその牛の鼻の所巌闕けて落ち、山の半腹に立ち懸かり今に存在す。その場所に至る山険阻にして、木の根に取り付き下る。甚だ危うく難所なり。余、先年、栄信和尚同伴にてこの処に至る。長さ五尺ばかり、横三尺ばかりの岩に一首の歌有り。大師流とは見ゆれども、さのみ能書とも見えず。  世をうしの はな見車に法のみち ひかれてここに 廻りきにけり  右の歌短長に書きてあり。雪花墨を以て正面摺に模して帰りたり。空海の筆ともおもはるる事は、岩の歌有る場所、山の端下よりは数十間も有るべき処、書くには足代など掛くべき所に非ず。弘法大師、法力を以て空中に坐して居り書きたるかと思はる。大師ならでは外に有るまじ。尤も無名なれば、外人の書きしや不審。所の者云い伝えしまま、弘法の筆跡と云い来たれり。余、これをまた板行とし余国へも披露せしなり。今はその板木、周智郡下村西楽寺にあり。」と書かれ、先の寛政8年(1796)西楽寺版と同じ内容で紹介されています。

また豊岡物語には「今も語りつがれている 中遠昔ばなし」第12話「衣かけの松」に「昔むかしのある日、夕もやのかかる頃、今の獅子が鼻公園の頂きの岩に、衣も色褪せて見るからに哀れな様相の僧が一人腰をおろしておりました。しばらくすると、僧はやおらたち上がり、急な岩山を降りはじめました。身の毛もよだつような絶壁を、あやうい足取りで降りて行き、突き出た大岩石までくると、今度はノミを取り出して岩に一心不乱に文字を刻み始めました。 世をうし乃 はな見車に法のみち ひかれてここに 廻りきにけり  刻み終わると、僧は頭上を覆う松の枝に身の衣をかけ、にっこりとほほえむと、いずこともなく消えていきました。やがて衣は朽ち果て、今はこの衣かけの松だけが、獅子が鼻公園にそびえています。かの僧は、弘法大師。八百八谷ある霊山をもとめて寺院建立をおこしましたが、獅子が鼻は一谷足らず心ひかれながらも下山し、その後高野山に登ったとつたえられています。」と紹介されています。

要約してみますと、オーバーハングの岩肌に1200年前弘法大師が刻んだとされる和歌が残されていました。歳月が流れ 宝暦の地震(1751・4/25)で岩が崩落しましたが、岩は中腹で止まり和歌も確認できる状態なので長庚は拓本に取り版木にして袋井市春岡の西楽寺に納めた、その後安政の地震(1854・12/23)で再度崩落し所在はわからなくなりました。大正2年(1913)修行者によって拓本を手本に岩に刻まれたものが現在目にすることのできる岩肌の和歌です。

この歌について一説には、修行者がそれぞれの行場で唱える歌(※秘歌)であり、「世を失の鼻見来る間に法に道、惹かれてここに廻り来にけり」との意味が込められている。との見解も示されています。(袋井市浅羽郷土資料館「遠州の霊山と山岳信仰」より)

岩に刻まれた歌だけでも多くの言い伝えが残され、歴史をこの目で感じることができます。是非お参りを・・・。

※秘歌・・・本来門外不出の秘伝で、気安く人前で唱えてはならないとされる。山岳修行では、修行場の行が成満した時に先達から授けられる歌でご真言

と同じ価値を持つ。 写真は拓本・昔話の絵・版木何れも西楽寺にて

IMG_3111
IMG_3118
IMG_3115
〇御詠歌

岩室の こけの細道 ふみ分けて 参る心は 浄土なるらん

山本石峰氏は「人の一生は棘(とげ)の多い茨(いばら)の苔の細道を登るようだ。煩悩の棘を払いよける観音力に縋(すが)って行けば極楽浄土は眼前ぞ」と記しています。

2017・3/23公開