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寺院からのお知らせ

気まぐれな巡礼案内④

投稿日:2016/11/06 カテゴリー:瀧生山 永寳寺内慈眼寺

今回は、先日(平成28年9月23日)33年に一度のお開帳を成満されました15番文殊寺内浄円寺です。文珠寺本堂の西南側に東向きに浄円寺は建っています。「円通}の扁額が印象的です。観音様の浄土は、渡海浄土で南の方角を云いますが、鎌倉期以降阿弥陀信仰が広がり西に向かい手を合わせることも一般化しました。お開帳の時拝した観音様は寺伝によりますと、※源信作(天慶5年942~寛仁元年1017)と伝えられています。1000年昔です。作者不詳の時、弘法大師作、行基菩薩作と云い伝えることが多くあります、そうあってもらいたいとの信仰上の希望的観測です。ただ源信作と云われますと、ひょっとしたらと思う。それは近在では聞きなれないことと、源信すなわち恵心僧都作の仏像は増上寺の黒本尊、備中千体阿弥陀如来像等多数に上るといわれ、水垂(みつたり)との境界六万法(ろくまんぽ)に規模の大きな寺院が存在した(天文年中迄1532~1555)との言い伝えもあり、高さ8寸とか1尺2寸とか寸法まで具体的に書かれていますと信憑性は増します。

この札所には西国33観音仏像が全て祀られています。観音堂を建て替える前は、本堂とお堂とが連結された処に並べられていました。随分傷んでいましたが、全て修復され現在観音堂に祀られており、地元の方々の篤い信仰を窺うことができ、「遠江西国33観音」と呼んでいることもうなずけます。

15番へのルートについて鈴木茂伸氏は「遠江33観音霊場巡礼道」の中で「14番大雲院または地蔵院・知漣寺から15番文殊寺へのルートは、倉真(くらみ)の報徳神社付近から倉真と初馬(はつま)の境界尾根に沿ってつたい、越えて長老塚やその上の茶畑の供養塔を経て、※初馬の文珠寺に至ったと推定されるが、そのルートが正しいのだろうか。」に留め、宇寺山にあった朝日山には言及されていません。

本尊様の作者、ルートは今後の調査に委ねるとして、平成に入って観音堂の建て替え、今回のお開帳と寺院・地元の力強い支えがあることは、ありがたいことです。 禅寺特有の背筋をピシッと伸ばしたくなる威厳と風格、漢詩が似合いそうな文珠寺です。

「遠江の札所」も歴史の中で危機が度々あったことは、三十三所の内 移動された札所が半数を超すことからもわかります。ここ150年の中でも大きな転機は明治初年の神仏判然令と廃仏毀釈、敗戦後の信仰離れ、そして現在の価値観の変容(現在進行形)です。

衣食住が足りて、次は心の時代だと叫んでみたら、不足気味の衣食住の中にしか心は宿っていなかったことに気づいた私たちの彷徨は未だ向かう先を見失っています。 変わらず微笑み続ける観音さまのお姿に、手を合わす側の器量を求めるのでしょうか。       しずかに 手を合わすだけでいいのに・・・

※源信=恵心僧都=横川僧都のことで、平安時代の天台僧、往生要集の著者(天台浄土教の理論と修行を体系化)

※初馬:この里の第一の谷間によりこの名在り、近くに倉真・長間・谷間・萩間等あり(掛川誌稿)

 

〇御詠歌

清くして 円かに照らす 朝日かけ 是も佛の 慈悲のまんぎょう

山本石峰氏は「※五台山を照らす朝日影は、言語に堪えた美観だ。※五蘊皆空のお山に巡拝が出来たのも、是は観音力の萬行の功徳だ。」と記しています。

※五台山:文珠寺の山号ですが、中国の山西省東北部五台県にある霊山。標高3058m。文殊菩薩の聖地として、古くから信仰を集めている。2009年世界文化遺産に登録された。(ウイキペディア)

※五蘊(ごうん):般若心経の経文で耳にしますが、色・受・想・行・識の五つを云う。人間の肉体と精神を5の集まりに分けて示したもの。「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用をしめす。

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観音堂                西国33観音像         文珠寺

2016・11/6公開