静岡県西部遠江三十三観音霊場保存会の公式ホームページです

寺院からのお知らせ

気まぐれな巡礼案内⑪

投稿日:2017/06/14 カテゴリー:瀧生山 永寳寺内慈眼寺

3番 長谷 東陽山 長谷寺(ちょうこくじ)です。

掛川市役所の真西200mの位置。 バスなら南まわり長谷寺停留所に札所はあります。北隣に貴船神社、東北隣が長谷区公会堂です。  平成8年都市計画で本堂が南側に移転しました。寺の象徴木※スイリュウヒバも移動し、根がつくか火がつくかと話題になりました。目通り3.7m、地表から3mで枝分かれし、中は空洞、樹齢300年位でしょうか、現在は写真のように手当ても空しく瀕死の状態です。
かつて訪れた時、スイリュウヒバの大きさに圧倒されたこと、西側の岩山に穴が丸く空いていて向こう側の景色が見え、要塞のように感じたことなどが記憶に残っています。

また最初に目についたのは地蔵堂横の※鯖大師のレリーフ石像でした。 鯖を貰ったお大師さまが途方にくれているようなお姿に、歩き疲れた自分が重なったのでしょうか。
※「鯖大師」:徳島線海部郡海南町の四国遍路別格4番札所八坂寺に伝わる塩サバ伝説「この付近の海岸は複雑に入り組み、八坂八浜と呼ばれる風景美を誇るが、路行く者には大変な難所だった。むかし四国を巡っていた弘法大師がここを歩いていると、鯖を積んだ馬を引く馬子が通りかかった。お大師さまがその鯖の一匹を乞うたところ、馬子は乞食坊主にやる鯖はないと、そっけなく通り過ぎようとした。そこでお大師さまが一首を詠んだ。

◎ 大坂や八坂坂中 鯖ひとつ 大師にくれで 馬の腹病む

すると坂道を登ろうとした馬は、たちまち腹痛をおこして立往生をしてしまった。馬子は驚いて、あの有名な弘法大師さまに違いないと詫びて鯖を献上すると、お大師さまがまた詠んだ。

◎ 大坂や八坂坂中 鯖ひとつ 大師にくれて 馬の腹止む

これで馬の腹痛が止んで、元通りに歩き出したという。お大師さまが鯖を海に投げ入れると、鯖は生き返って泳ぎ去ったという。」歌語り風土記より

 

観音堂と思い、お参りしようとしたお堂が地蔵堂で、鎌や包丁などが奉納されていて、それが安産のお礼参りと知ったのは後になってからでした。等身大のお地蔵さまが錫杖でなく、金色の鎌を持って座っていらしゃいます。この地蔵菩薩について※「寺籍財産明細帳」には、「安産地蔵菩薩と云い、木像で高さ3尺9寸3分(約119㎝)の半坐像です。右手に鎌、左手に宝珠を持ち、古来から安産地蔵と呼ばれ遠近から安産祈願に訪れる。」と記され、また寺院のパンフレット「泰産地蔵菩薩御由来記」には、「安産祈願をして、成就した人は、鎌か包丁を作るか絵に描くかして奉納をする習わしである。」と記されています。今も堂中には最近奉納された成満御札が掲げられ、いつの時代も変わることなく、子どもの成長を願うこころが脈々と受け継がれていることがわかります。
また、地蔵尊の右側に高さ2尺5寸(75.6㎝)石像の楊柳観世音菩薩が祀られています。33観音の一つで、手に柳の枝を持つお姿です。(石の磨耗で判別不可)薬王観自在と同じで、病気を治してくださる観音様とされます。


「掛川誌稿」には巡礼札所の所在する村はほとんど記載されていますが、3番札所については記されていません。むしろ長谷寺の項に「長谷寺」なのに観音が祀られていないのは「長谷寺(ちょうこくじ)」が奈良の長谷寺(はせでら)からではなく、地形から付けられた「長谷寺(ちょうこくじ)」だからです。とわざわざ記しています。しかし案内石に「三番はせ寺」とあることを見ますと、メジャーな呼び方に迎合しようとした意図は窺われますが定着はしなかったようです。

さて、新境内になり20年が過ぎ、この長谷付近も掛川市役所を中心に見違えるように変わりました。文化の頃(1804~)58軒の村は今1000世帯を超えています。寺院も美しく整備され、檀信徒に解放されています。

肝心の本尊様は本堂に祀られています十一面観音様です。「寺籍財産明細帳」によれば行基菩薩の作、高さ1尺3寸5分(約41㎝)、その前に高さ9寸4分(28.5㎝)の十一面観音様が前立佛(写真)として祀られていると報告されています。十一面観音像の基本形は、頭上に10面と本面の11面、右手に念珠か瓔珞を掛け施無畏の印、左手に瓶に蓮華を挿して持つ(異形多くあり)のですが、奈良長谷寺(西国8番)の観音は、右手に錫杖を持つ独特のお姿で、観音と地蔵を合わせた像とされています。この札所の観音様は※御前立佛と同じと記されていますので、奈良とは違い基本的な十一面観音様と思われます。
東陽院と長谷寺が合併(大正2年)して今の東陽山長谷寺があるため、観音様の横には東陽院の本尊様、阿弥陀三尊像が祀られています。また東側には曹洞宗独特の大権修利菩薩、西側に達磨大師が祀られています。

ここのように市街地の中にあり、寺院と公会堂と神社が一カ所に集まった新たな伽藍形式と捉えれば、信仰のみならず地域のコミニテイーの場としても大いに活用でき得る可能性があると思われます。


※「スイリュウヒバ」:糸ヒバ・水流ヒバ・水龍ヒバ・比翼ヒバ・黄金糸ヒバ・枝垂れヒバなどとも言われるヒノキ科の常緑樹

※「寺院財産明細帳」:明治18年~19年に曹洞宗務局の調査報告書

※「御前立佛」:本尊様は秘仏で開帳の時以外は拝見できない為、その代わりに同じお姿の仏像を厨子の前に祀る。