投稿日:2016/10/16 カテゴリー:瀧生山 永寳寺内慈眼寺
今回は9番岩室と周辺です。 初めて訪れた時、8番観正寺から 歩けどあるけど着かず、遠かったことを思い出します。二里半(10キロ)の道のりです。
岩室に来たら公園に足を運ぶことをお勧めします。獅子が鼻から眺める絶景は、鳥になった気分 疲れを忘れさせてくれます。
古代から続く歴史の中で此の場所はどんな変遷をたどったのだろうか。観音堂裏山の夥しい薄石の古墳、山肌の岩室群、摩崖仏、国分尼寺跡、七堂伽藍を想わせる礎石類、平安期の仏頭・仏像、鎌倉期の大般若経書写、観音堂正面蟇股16枚菊紋、地名と伝説の数々、戦国武将の勢力争い等 限りなく謎とロマンは広がります。
「獅子が鼻」名前の謂れとなった先端は地震で鼻の部分が崩落する前は、「牛の鼻」と呼ばれていたようです。オーバーハングの岩が少しだけ低くなったようです。上からの景色を堪能したら、鼻の下に降りてみましょう。登山道を少し下りますと「衣かけの松」の標識があり、そちらに向かいます。歩いてすぐ右上に摩崖仏が現れます、その先が鼻の真下になります。歌が刻まれています「世をうしの はな見車に 法のみち ひかれて ここに 巡り きにけり」(永安寺開山寂室禅師 登山して看花の作あり(延文1356~1360)と言い伝えあり)。 またその右手には「弘法大師 投筆 天授 再寫刻 花押」(弘法大師の書かれたものを、天授の時に、再び刻する。あるいは 天から授かって再び刻する)とも記されています。字体から近世に刻されたもののようです。「天授」については、そのままの意味と、元号(南朝1375~1381)とも捉えることもできます。鼻の付け根の処には「役の行者」が真っ直ぐ西向きに座しています。衣かけの松から北側に回り込みますと、岩室がしっかりと残され 修行場として最適ですが、「この先立ち入り禁止」の標識に阻まれます。その先の大きな岩室には33観音がひっそりと祀られていますが、行くのは危険です。
時間に余裕があれば、公園の下から登山道を上がることをお勧めします。ひと汗かいて岩先に立った時の爽快感は何とも言えません。
今回は「獅子が鼻」のみになりましたが、その周辺にも多くの興味深い場所があります。40年前に行われた開拓パイロット事業は立派な柿園になり、今回訪れた時は 葉と果実の色づきも美しく、何度訪れても飽きることのない札所とその周辺です。