静岡県西部遠江三十三観音霊場保存会の公式ホームページです

気まぐれな巡礼案内⑫

投稿日:2017/07/18 カテゴリー:瀧生山 永寳寺内慈眼寺

第4番 鶏足山(けいそくさん)正法寺内新福寺です。

文政年代の石標

山号の鶏足は地形から採ったとされる。曽我山・拈華山・鶏足山と変遷しています。

掛川インターから袋井のエコパに向かう県道403号磐田掛川線の高御所(こうごうしょ)インターで降り左折すれば境内です。ここは小笠山の北裾に当たります。小笠山を御神体と見たのでしょうか本堂は北向きです。平成10年代の終わりころまでは門前に樹齢300年以上の樅の大木が二本立ち、雷災した木にオオルリがさえずるのを毎年楽しみにしていました。境内に入り東側の禅堂に4番新福寺札所があります。旧来から正法寺に祀られていた西国三十三観音石像(昔は羅漢堂の回廊に並べ祀られていた)がお堂の入口の左右に置かれています。(写真)
「掛川誌稿」には観音堂として、「遠江札所四番の観音なり、堂守りを新福寺といい、曹洞宗豊田郡野辺村一雲斎末寺なり。」と記されています。正法寺々伝「曽我山略縁起」によれば「遠江三十三所第4番は十一面観音にして、元は村内新福寺の本尊なりしが、明治六年八月新福寺廃寺となりしに因り本来なれば本寺一雲斎へ合すべきものならんも同村の故を以てか、上司の仰せを蒙り、当山に遷し禅堂に安置す。」と記され、寺院の本末関係より地域制と巡礼番の方が優先されました。明治29年(1896)発行の案内では3番から4番へは13丁(約1.5キロ)とされています。この地域制を優先する正法寺預かりは、この寺院の開山の縁とも通じ合います。正法寺は開山を応永17年(1410)3月16日、見珠和尚(明円)としていますが、森町の大洞院同様開基を持ちません。地元の5~6名の粘り強い要請によって創建された歴史を持つからです。(権力者のスポンサーを持たなかったところにも道元禅師の意思は息づいていたわけです。)その後領家村の松浦惣太夫や徳川家康の寄進などにより境内地が整備された経緯はありますが。

掛川市史によれば旧掛川市内寺院の80%を占める曹洞宗寺院96ヶ寺の創建年次についての調査で1400~1499年8ヶ寺 1500~1549年22ヶ寺 1550~1599年26ヶ寺 1600~1649年23ヶ寺 1650~1699年11ヶ寺 1700以後5ヶ寺 不明1ヶ寺となっています。これは、1400年以前には曹洞宗寺院は皆無であり、戦国の混乱期に寺院が多く創られていること、国情同様江戸期には安定したことなどが特徴といえます。全国の曹洞宗の中で此の地域の寺院密度が最も高いことの理由が気になる所です。

さて、正法寺は旧掛川市内では最も早く、霊場圏内では森町飯田の崇信寺(1401)に次いで創建された寺院で(応永17年1410)、次に最福寺、長福寺(1455)、法泉寺と続きます。 正法寺の創建について「掛川市史」真言宗寺院の項中で、「この地にも相当数の真言宗や天台宗の寺院があったように思われるが、略 十四世紀末から十五世紀にかけて、次々に曹洞宗寺院に換骨脱胎されていく。」と説明され、曹洞宗は教線を拡張していく過程で、旧寺院、地元民の信仰と習俗をそのまま包摂、受容していった。正法寺も当時廃寺同然の真言系正眼院を曹洞宗として創建されました。

今回は正法寺の東側にある旧道と伝説的な樅の木について案内させていただきます。

◎「腹摺り(はらすり)」:正法寺より少し東方から沢に沿って入り、小笠山の中を通り南に向かう山道を「はらすり」と呼び、その昔この道を歩いたことを懐かしく感じられる方も多いと思います。

「掛川誌稿」に「腹摺切通」として、「高御所村を経て横須賀領の山に至る道なり。萬治元年(1658)北条出羽守氏重、没して嗣子無く、其の家断絶す、依って横須賀の城主本田越前の守利長、正月より二月まで掛川城を預かる、其の時横須賀の諸士更番往来のために開く、切通の間三十歩許、甚だ狭隘(きょうあい)なる故に腹摩と呼ぶ。」と記されています。馬がお腹を摺るほどの狭い道だということのようです。現在では利用する人もなく荒れていますが通行は可能です。(写真) 切り通しの狭いところで3尺(1m)位、25分で峠に出ます。ウォーキング道として整備、活用を期待したい。(ヤマヒルには注意)


写真は県道403号下のガードをくぐり、沢に沿って登り切り通しから峠を越え南に下ります。

◎通幻木の伝説:廃寺同様の処、禅僧通幻和尚この山に来て、大なる樅の木樹下にて座禅す 修禅中信徒の者数人挙て草創開山に請して此の山を永続せんと欲す 又修禅中僧壱人来て随身して禅道に入りしか これと同行して通幻和尚何れか雲遊し去れり 然りと雖も草創開山と請し 今に於いて通幻和尚袈裟掛けの樅弐本あり 根となりうらとなり弐本につき合て横枝あり 是を通幻木と相唱来れり。(以下略)と「寺籍財産明細帳」は伝えています。

今も上記の木(通幻木といわれる袈裟掛けの樅2本)は奇跡的に現存します。(写真)平成29年7月16日35度の暑さの中対面してきました。


写真のように、根元から二本に聳えています。右側の木は目通り3.8m 左側の木は目通り4.3m。地表から2メートルのところで枝のようにつながっています。これが通幻木袈裟掛けの枝です。樹高30m位でしょうか、樹勢は良好です。今から約640年前は既に大なる樅であったわけですから、随分古く貴重な樅です。

※通幻(1322~1391)・・・総持寺五世通幻寂霊禅師(つうげんじゃくれいぜんじ)のことで、道元(承陽大師)を高祖とする曹洞宗は4代目太祖瑩山(けいざん)(常済大師)で教団としての組織が確立します。瑩山の弟子峨山韶碩(がざんしょうせき)の下に集まる25哲といわれる僧があり、その中にまた、5哲あり、通幻寂霊はその一人で、彼の流れを通幻派と呼び曹洞宗14000ヶ寺700万檀信徒の半数以上8900ヶ寺(永澤寺談)を占めるといわれる最大勢力の派祖。

※樅(モミ)・・・日本特産の常緑針葉樹で本州、四国、九州に自生する。高知県四万十市の新玉様のモミ(目通り7.88m)を最大に5m以上を30傑としている(1985年「日本の巨樹」)が通幻木のような珍しい樹形は稀とおもわれます。

掛川市3霊山を小笠山・大尾山・粟ヶ嶽としますと、観音霊場は32番・33番・1番・4番・5番・6番が小笠山の東から西側の裾に設けられています。小笠山は約100万年前大井川の流れで形成された若い山です。静岡県100山でも最も低い山(最高峰264m)ですが、その分大雨の度に姿を変える険しい山でもあります。今回は正法寺とその周辺を取り上げてみました。「通幻袈裟掛けのモミ」は巡礼者のみならず、曹洞宗寺院の方々にも是非訪れていただきたい霊域です。「腹摺り」も小笠山散策道として整備し大勢のウォーカーが利用できるようになればと思います。明治以前の札所新福寺の所在位置確認は時間の都合でできませんでした。